大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

横浜地方裁判所 昭和58年(行ウ)26号 判決 1984年7月25日

原告

篠田健三

右訴訟代理人

森田明

被告

神奈川県知事

長洲一二

右訴訟代理人

福田恒二

外三名

主文

一  本件訴えを却下する。

二  訴訟費用は原告の負担とする。

事実

第一  当事者の求めた裁判

一請求の趣旨

1  被告が昭和五八年一一月七日付けでした、原告の同年一〇月二四日付け公文書の閲覧請求に対する閲覧拒否処分を取り消す。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

二請求の趣旨に対する答弁

1  原告の請求を棄却する。

2  訴訟費用は原告の負担とする。

第二  当事者の主張

一請求の原因

1  処分の存在

原告は被告に対し、昭和五八年四月一日付けで「神奈川県の機関の公文書の公開に関する条例」(以下「本件条例」という。)に基づき、逗子市の海岸付近に建築予定の五階建てマンション(以下「本件マンション」という。)の建築確認申請書及び添付書類のすべての公開を求めたところ、被告は、同月一四日付けで、建築確認申請書、付近見取図及び日影図等については公開したが、平面図、立面図及び断面図等は公開を拒否した。同年八月ころ、本件マンションの建築工事は完成したが、原告は被告に対し、改めて同年一〇月二四日付けで本件条例に基づき、本件マンションの各階平面図(二〇〇分の一。以下「本件平面図」という。)、立面図(一〇〇分の一)及び断面図(一〇〇分の一。以下、以上の各図面を総称して本件各図面」という。)の閲覧を請求した(以下「本件閲覧請求」という。)ところ、被告は原告に対し、同年一一月七日付けで、左記理由により本件各図面の閲覧を拒否した(以下「本件拒否処分」という。)。

(一) 本件各図面を公開することは明らかに設計者の人格上及び財産上の権利を侵害することになると認められるので、本件条例五条一項二号に該当する。

(二) 本件平面図については、右(一)に加えて、入居者への引渡しが進んでいる現時点においては、特定の入居者が生活する住居の間取りを示す特定個人に関する情報であつて、本件条例五条一項一号に該当する。

2  処分の違法性

しかし、本件拒否処分は、本件条例五条一項一、二号の解釈適用を誤つた違法なものである。

3  原告適格

原告は、神奈川県逗子市の住民であり、環境保護運動の連合体である全国自然保護連合の理事として地域の環境問題に深い関心を持つているところ、原告は本件拒否処分によつて具体的利益を侵害されてはいないが、本件条例に基づいて公文書は公開されるべきであるという原告の期待が侵害されたものである。

4  よつて、原告は本件拒否処分の取消しを求める。

二請求の原因に対する認否

1  請求の原因1項の事実は認める。

2  同2項は争う。

3  同3項の事実のうち、原告が神奈川県逗子市の住民であることは認めるが、その余は不知。

三被告の主張

1  本件平面図の本件条例五条一項一号該当について

(一) 本件条例二条は、公文書の公開においては、「個人の秘密、個人の私生活その他の他人に知られたくない個人に関する情報がみだりに公にされないように最大限の配慮をしなければならない」と定め、本件条例五条一項一号は右の趣旨に基づき、個人のプライバシー保護の観点から、個人に関する情報の原則的非公開を定めている。

(二) したがつて、同号所定の「特定の個人が識別され、又は識別され得るもの」に該当するか否かは、事柄の性質上、当該文書のみではなく、他の資料ないし諸般の事情をも併せ考慮して判断されるべきである。

(三) 本件平面図は、本件マンション内部の間取り等を具体的に明示しており、昭和五八年八月ころ本件マンションが完成し、入居者への引渡しが進行している以上、個人に関する情報であつて、それ自体、特定の居室の入居者である個人を識別するものである。それだけでなく、住民票、建物登記簿謄本、表札、郵便受け及び案内板等のその他の資料ないし諸般の事情を総合すると、入居者の具体的氏名まで識別され得るものである。

(四) したがつて、本件平面図は、本件条例五条一項一号所定の「個人に関する情報であつて、特定の個人が識別され、又は識別され得る」情報に該当することは明らかである。

2  本件各図面の本件条例五条一項二号該当について

(一) 法人その他の団体に関する情報及び事業を営む個人に関する情報についても、個人のプライバシー保護と同様の問題があるため、公文書の公開により法人等に不利益を与えることはできる限り防止すべきである。また、第三者から取得した情報についてはその取扱いに慎重を期するため、被告は、第三者情報の取扱要領を定め、当該第三者の意見を聴取したうえで、当該第三者情報を公開するか否かを決定することとしている。

(二) 一般に、建築物の建築に関して作成される設計図書は、設計者が、専門的知識、技能及び技術上のノウハに基づき創作する知的生産物であり、依頼主に対しても使用目的を限定して提供されるものであつて、著作権により保護されるべき著作物である。本件各図も株式会社太陽企画事務所(以下「太陽企画」という。)が作成した本件マンションの建築に関する設計図書であるから、右のような性質を持つものである。

(三) したがつて、本件各図面を公開することは、設計者の人格上及び財産上の権利を侵害する。

(四) 被告は、本件閲覧請求のなされた後、太陽企画に対し、本件各図面の公開について意見を聴取したところ、太陽企画は、建築計画概要書に示される程度の書類の公開は支障がないが、他の図面の公開は営業上支障がある旨の見解を示した。

(五) 原告は、本件閲覧請求に先立ち、本件条例に基づいてした昭和五八年四月一日付けの公文書公開請求手続により、本件マンションの建築確認申請書、付近見取図、配置図、日影図及び審議カード(一部を除く)の各写しを入手している。本件マンションの環境への影響については、右各図書の閲覧等によつて十分知ることができるのであつて、本件各図面まで公開すべき必要性はない(そもそも、原告は、本件マンションとは遠く離れた場所に居住しており、本件マンションの影響を受けるべき状況にない。)。

(六) 以上の点を総合すれば、本件各図面は、本件条例五条一項二号の「公開することにより、当該法人又は当該個人に明らかに不利益を与えると認められる」情報に該当する。

四被告の主張に対する原告の認否すべて争う。

五原告の反論

1  本件条例五条一項一号への不該当

(一) 本件条例五条一項一号は、単に個人に関する情報であるだけでなく、当該文書から特定個人が識別され得る場合に限り、右文書を公開しないことができるとしたもので、他の事情から偶然入居者名が知れても同条項とは関係がない。

(二) 本件平面図からは、入居者名は判明しないから、入居者である特定個人が識別され得るものではない。

(三) 本件平面図についての閲覧拒否の理由には、「特定個人に関する情報であるため」と記載されているだけで、「特定個人が識別できる」ことは挙げられていないから、理由の記載自体要件を満たしていない。

2  本件条例五条一項二号への不該当

(一) 本件条例は、憲法上の権利である「知る権利」を具体化したものであり、例外として非公開とすることができるのは知る権利の内在的制約として是認できる場合に限られる。知る権利が制約される根拠の一つとして個人又は法人の営利的活動を害することが挙げられ、本件条例五条一項二号もまた主にこの見地から公文書を非公開とすることができる場合について定めたものである。

ところで、知る権利をも包含する表現の自由などの精神的活動に関する人権は、財産権や経済的活動に関する人権より原則的に優越的地位を認められるべきであるとされている。また、本件条例の制定過程でも、企業情報の非公開が従来多くの環境破壊・生命・健康の侵害を生みだし、救済を困難にしていたから、企業情報を非公開にできる範囲は厳しく限定すべきである旨の意見が強く主張されていた。

(二) 以上によれば、本件条例五条一項二号は、理論的にも沿革的にも、厳格に解釈されるべきである。すなわち、同条同項同号において

(1) 「明らかに」不利益を与えるとは、一見明白なものに限る趣旨である。したがつて、その前提として不利益の内容が異論のない確定したものでなければならない。

(2) 「不利益」の程度については、経済活動の自由を認めること自体と矛盾するようなとき、すなわち「その法人等の正当な活動を困難にするような不利益」に限定されると解すべきである。なぜなら、情報公開によつて法人等の経済活動に支障をきたすとしても、そのすべてが「不利益」に当たるとすると知る権利は有名無実化し、その優越性は否定されるからである。

(三) 本件拒否処分の理由についてみると、「設計者の人格上及び財産上の権利」の内容が不明確であるうえ、右権利が公開によつて当然に侵害される理由について説明がないから、本件各図面の公開によつて「一見明白に不利益」を受けるということは到底できない。

また、本件各図面の公開によつて「法人等の正当な活動を困難にするような不利益」を与えるとは考えられない。本件各図面を公開する程度の請求を認めないのは企業情報の保護を配慮しすぎるものである。

3  本件条例五条一項二号ただし書への該当

本件各図面は、本件マンション建築によつて生ずる周辺住民のプライバシー・防犯、眺望、日照、風害、電波障害及び緑地減少等に影響を与えるから、周辺住民の生活環境を保護するために公開されることが必要な情報に当たる。したがつて、同条同項同号ただし書アに準ずるべきものであり、かつ、公益上の必要性も高い。

第三  証拠<省略>

理由

一請求の原因1の事実及び原告が神奈川県逗子市の住民であることは、当事者間に争いがない。

二まず、原告が行訴法九条にいう「処分又は裁決の取消しを求めるにつき法律上の利益を有する者」に当たるか否かについて判断する。

1行訴法九条は、処分又は裁決の取消訴訟の原告適格の要件として、「取消を求めるにつき法律上の利益を有する者」と規定しているが、右の「法律上の利益を有する者」とは、当該処分又は裁決により自己の権利若しくは法律上保護された利益を侵害され又は必然的に侵害されるおそれがあり、その取消しによつてこれを回復すべき法律上の利益を持つ者をいうと解すべきである。

2そこで、原告が本件拒否処分により法律上保護された利益を侵害されたか否かについて検討する。

本件条例(乙第一号証参照。以下同じ)によれば、同条例は、「地方自治の本旨に即した県政を推進する上において公文書の公開が重要であることにかんがみ、公文書の閲覧等を求める権利を明らかにするとともに公文書の閲覧等に関して必要な事項を定めることにより、公正で開かれた県政の実現を図り、もつて県政に対する県民の理解を深め、県民と県との信頼関係を一層増進することを目的とする。」(一条)ものであり、「県内に住所を有する者、県内に勤務する者、県内に在学する者、県内に事務所又は事業所を有する法人その他の団体その他県の行政に利害関係を有するもの」(四条)は、知事、議会等の実施機関(三条二項。以下「実施機関」という。)に対し、「実施機関の職員が分掌する事務に関して職務上作成し、又は取得した文書及び図面(これらを撮影したマイクロフィルムを含む。)であつて、当該実施機関において管理しているもの」(三条一項。以下「公文書」という。)の閲覧及び公文書の写しの交付(以下「公文書の閲覧等」という。)を請求することができる(四条)とされている。

そして、<証拠>によれば、本件条例及び同条例に基づいてその施行に関する必要な事項を定めた本件条例施行規則(乙第三号証参照。以下同じ)の解釈及び運用について、「神奈川県の機関の公文書の公開に関する条例の解釈及び運用の基準」(以下「本件基準」という。)が定められ、本件基準において、本件条例四条所定の公文書の閲覧等を請求することができる者(以下「請求者」という。)のうち、「県内に住所を有する者」とは、県内に生活の本拠を有する個人をいい、「県内に勤務する者」とは、県内の事務所又は事業所に勤務している個人をいい、「県内に在学する者」とは、県内の学校、各種学校その他の施設において教育を受けている個人をいい、「県内に事務所又は事業所を有する法人その他の団体」とは、県内に本店、支店その他の事務所又は事業所を有する法人及び法人格を有しない自治会等の団体をいい(以下、以上のものを「県民等」という。)、「その他県の行政に利害関係を有するもの」(以下「利害関係者」という。)とは、県の行政により自己の権利、利益等に直接影響を受け、又は直接影響を受けることが確実に予測される個人又は法人その他の団体をいうとし、この場合には神奈川県民であるか否かを問わないものとされていることが認められる(同基準第四条関係1(3)アないしオ参照)。

また、公文書の閲覧等の請求手続については、当該請求者は、当該閲覧等の請求に係る公文書を管理している実施機関に対し、所定の事項を記載した請求書を提出しなければならない(本件条例六条)ところ、本件条例施行規則二条(1)、(2)は、右の請求書の記載事項として、公文書の閲覧等を請求することができる者の区分及び当該請求者が利害関係者である場合には、当該公文書との利害関係を明らかにさせるために、「当該利害関係の内容及び閲覧等の請求の理由」の記載を定めている。

3以上判示の本件条例、本件条例施行規則の各規定及び本件基準の趣旨に照らすと、公文書の閲覧等を請求し得る者とは、一方は、当該公文書が自己の具体的な権利、利益等と直接関わりがないが、本件条例四条所定の県民等の地位を有する者であり、他方は、当該公文書との利害関係が問題とされる利害関係者であることになる。

すなわち、本件条例の下においては、公文書が自己の具体的な権利、利益等と直接関わりを持つ利害関係者はもとより、公文書が自己の具体的な権利、利益等と直接にも間接にも関わりを持たない、単なる県民等であつても、公文書の閲覧等を請求し得ることとされているのである。

しかして、右の者のうち、後者は、本来、公文書が自己の具体的な権利、利益等と直接にも間接にも関わりを持たない者であるから、実施機関に当該請求に係る公文書の閲覧等を拒否されたとしても、右拒否によつて自己の具体的な権利、利益等に何ら影響を受けるものでないことは明らかである。

したがつて、かかる者は右公文書の閲覧等の拒否処分の取消しを求める法律上の利益を有しないものといわなければならない。なお、付言するに、本件条例一一条は、公文書の閲覧等の請求に対する決定につき行政不服審査法による不服申立てを許しているが、同法に基づく不服申立制度の目的(同法一条)に照らすと、右不服申立てが許されているからとしつて、直ちに行訴法による行政訴訟が許されると解すべき根拠はないものというべきである。

4しかして、本件においては、原告は神奈川県内に住所を有することは当事者間に争いがないところ、本件拒否処分により原告が自己の具体的利益を侵害されたものではないことは、原告の自認するところであるから、本件閲覧請求は、原告が単に神奈川県内に住所を有する者であるという地位のみに基づいてなされたものであることは明らかである。

してみると、原告は、本件拒否処分によつて、自己の具体的な権利、利益等に影響を受けたものとはいうことができないし、また、原告は、本件拒否処分によつて本件各図面の公開に対する期待を侵害された旨主張するが、原告が環境問題に対する個人的な関心から自己の具体的利益とは関わりのない公文書の閲覧を請求していることはその自認するところであるから、原告の右期待は法律上保護された利益に当たらず、原告自身の事実上の期待にすぎないというべきである。

したがつて、原告は、本件拒否処分の取消しを求めるにつき法律上の利益を有しないものといわなければならない。

三よつて、原告の本訴請求は、本案について判断するまでもなく、不適法な訴えとしてこれを却下することとし、訴訟費用の負担について行訴法七条、民訴法八九条を各適用し、主文のとおり判決する。

(古館清吾 吉戒修一 足立謙三)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例